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○親鸞会の活動していたら助かるのか
私がこの県、この市へ来て36年が経ち、その間に親鸞会に入会された人は1000人を越えるでしょう。また同じ程の方が退会され現在○百人の方が求めておられます。 仕事で16年、講師部で20年、この県の地理は隅々まで知り、幹部、会員さんの顔は忘れてはいません、 「宿善まかせ」ーーー宿善さえ厚くなれば助かる、と信じ、会員さんに活動を勧め(参詣、顕正、財施、アニメ販売、教学、その他)、その結果「私は救われました」と言う人は、私の親鸞会在籍中はありませでした。 私が退会してからあったでしょうか? 極難信の法ではありますが、仏願の生起本末、南無阿弥陀仏の御心を聞けば一人居て、一人救われる法であります。 私は講師部の時、この事が分からず、話しすることが出来ませんでした。 本当に申し訳ありませんでした。心よりお詫びせずにおれません。 ○18願を聞くと、三願転入の心を知らされる 増井悟朗先生より聞かせて頂き、18願を聞く、仏願の生起本末を聴聞するままが、三願転入させられる心の道であったと知らされました。 生起で私の相、値打ち聞かされても、自分ではそんな悪い人間とは思っていない。まだましな方だと自惚れていたが、食べて生きることが既に殺生罪の一生だ。よく自分を見れば、十悪五逆謗法は毎日犯しているではないか。 心から親切が出来ない、名利の心で、損得で動いているだけと知れてくる。 善はやっても「おれが、あいつに、してやった」では泥足で雑巾がけをしているようなもの。拭いた後に汚い足跡がペタペタと残っている。仏教では真実の善とは言わない。雑毒の善と言う。 「一切凡小、一切時の中に貪愛の心常に能く善心を汚し、瞋憎の心常に能く法財を焼くーー虚仮雑毒の善を以って無量光明土へ生ぜんと欲す、これ必ず不可なり」(化土巻) 雑毒の善では助からないと、19願の人を親鸞聖人はこう教えられた。 お浄土どころか、このままでは因果の道理で後生は一大事。しかも無常はいつやって来るか知れない。今晩かも。どうすればいいのかと、心は自力の諸善から阿弥陀仏の本願力に救いを求めるようになってきた。 本末を聞かされて、こんな私目掛けて命がけの阿弥陀仏の五劫兆載永劫の願行のご苦労があり、名号六字を成就して呼びずくめを知らされ、申し訳ない、称えずにおれなくなる。 しかしこの諸善万行の収まった念仏の大功徳で、何とかしようの心で称えているから、称えている時は助かるように思うが、称えられなくなり、続かないと不安になる。 「大小聖人、一切善人、本願の嘉号を以って己が善根とするが故に、信を生ずること能わず、仏智を了らず、彼の因を建立すること了知すること能はず、故に報土に入ること無し」(化土巻) 20願の念仏の人を親鸞聖人は厳しく戒めておられる。 称えても後生は暗い。ハッキリしない。不安になる。 おまかせ出来ない疑いの心、どう聞いたら、どう思ったら、どうしたら、どうしたら、ハッキリしたい、判りたい、助かりたい、何とかなりたい、墜ちると思えぬ、まかせられない自力の心にあせリ出す。 私は真の善も出来ぬ、念仏も続かぬ、そして頑とある自力の心、疑う心に苦しみました。この心が最後に大問題になって来た。 毎日このことばかり思うようになりました。どうしたらこの疑いがなくなるのか、無くそう、捨てようと努力しました。 しかし、どうやっても無くなりません。それでまた苦しむの連続でした。 ・「仏智疑う罪深し この心おもい知るならば くゆるこころをむねとして 仏智の不思議をたのむべし」 ・「八つ 益にもたたぬ雑行や 雑修自力をすてもせで 弥陀仏泣かせていたことは ほんに今まで知らなんだ」 ・「富士の白雪朝日で溶ける 凡夫の疑い思案じゃとけぬ 晴れたお慈悲を聞きゃ晴れる」 増井先生、華光会の先生より仏願の生起本末を聞き、阿弥陀仏にここへ照育せられ、導かれていったのです。 それが南無廻向の心、「まかせよー」の一声、聞こえたまま、疑いの無い信楽の心になってしまいました。 不思議としか言い様の無い、南无阿弥陀仏の本願力でありました。 「大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず」 何と楽な世界か。願船に乗せられると往生の当てができて楽になってしまった。こんなことやったのかー。知らなんだー。 「九つ ここに居ながら正定聚 光明摂取の網の中 逃げても逃がさぬお慈悲とは ほんに今まで知らなんだ」 南无阿弥陀仏を聞信する一念に往生は決定し、そのご恩に念仏を称えずにおれない身とさせて頂きました。 ・阿弥陀仏の18願「至心信楽欲生我国」の誓願を、 ・釈尊は「聞其名号信心歓喜乃至一念至心廻向願生彼国」と説かれ、 ・親鸞聖人は「聞と曰うは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」とお示しにならました。 「仏法は聴聞に極まる」本当に聞くひとつでした。 「18願を聞け、生起本末を聞け」 聞けば「三願転入」の心も知らされるのです。 真宗宗歌 1 深きみ法にあいまつるーーー18願、仏願の生起本末、南无阿弥陀仏 身の幸何にたとうべき ひたすら道を聞きひらき 真の御胸いただかん 2 永久の闇より救くわれし 身の幸何にくらぶべき 六字の御名を称えつつ 世の生業(なりわい)にいそしまん そうとも知らず、19願の自力の諸善を積み上げて、20願、18願と進んでゆくぞー。「光に向って」頑張ってゆく道だと聞き間違って、30年、40年と求め、やがて歳や病や、お金が尽きて泣いて後生へ出かけて行く会員さんを、余りにも多く見てきました。 講師部の時、これが求道だ、国に一人、郡に一人の厳しい道だ、宿善浅ければ助からなくても仕方が無い、どうにも出来ぬと見ているしかありませんでした。 阿弥陀仏は泣いておられます。 ようやく人間界に生を受け、聞きがたい仏法、しかも阿弥陀仏の本願を聞きながら、聞き間違いをして、またも流転してゆく相に、血の涙を流しておられます。 お前はもう私の心が判ったからには、早く伝えてくれ、懈怠な心、非難を嫌う心しかないことは判っている、しかし伝えてくれ、の阿弥陀仏の御心に押し出されて、私は、「私の白道」を書かせて頂いています。 阿弥陀様に書かされているなと感じます。 早く南無阿弥陀仏に遇って頂きたい、救われて頂きたいの心を忘れず、これからも書かせて頂きます。 真宗宗歌 3 海の内外のへだてなく 御親の徳の尊さを わがはらからに伝えつつ 御国の旅を共にせん 懈怠な私への阿弥陀如来のお勧めです。 ○聴聞と信心の沙汰の大切さ 「仏法は聴聞に極まる」は最も大事です。次に「信心の沙汰」ご示談、談合、座談も大事であることを、蓮如上人は何度も教えておられます。 蓮如上人仰られ候、「物を言え、物を言え」と仰られ候。「物を言わぬ者は恐ろしき」と仰せられ候。「信、不信ともにただ物を言え」と仰せられ候。「物を申せば心底も聞こえ、また人も直さるるなり。ただ物を申せ」と仰せられ由候。 (御一代記聞書87) 一方的に話をしていても、どう聞かれたのか、何が分からないのか、聞き心、受け心を無視していては南无阿弥陀仏は届きません。 聞き間違い、思い違い、疑問は必ず起きるのです。 だから蓮如上人は、そこが大事だから「物を言え」、信心の沙汰、談合、ご示談、仏法讃嘆をせよと厳しく教えられたのです。 此れは廃立の精神でもあると思います。 ○なぜ信心の沙汰が無いのか。 親鸞会で長く求めていても信心決定が難しいと思われる原因の一つが、この信心の沙汰が余りにもなされていないからと思います。 では、なぜ信心の沙汰が無いのでしょうか。 今回、問題にしたいのがここなのです。 信心の沙汰が無い。なぜしない。なぜ出来ない。ここを知って頂きたいと思います。 ◎親鸞会の体質を問うーーー自由に物が言えない。これでは沙汰は出来ない 親鸞会は明るく元気に、上司に素直にハイと従って聴聞、活動することを求められます。何か、疑問、質問、本音を言うと注意されたことはありませんか。そんな発言は周りに悪を撒き散らせ影響を与えるから決して言ってはならないと・・・。 たとえ教えに関する疑問でも、こんな事を言ったらまた注意されるのではないか、指摘されるのではないかと恐れ、建て前しか言わなくなるのです。立場のある人程それは強いのです。 教え、活動、言動にまで、じっと上司の指示に無批判で従うだけの人間になってしまい、本音、疑問は胸の奥深くに押し込んでしまう。これが求道だと思って、孤独地獄に落ちて悶々とした日となってゆくのです。違いますか。なぜこんな雰囲気なのでしょうか。 私の体験をお話してその原因を知って頂きたいと思います。 少し長くなりますが、親鸞会の真実の姿を知る為に読んで下さい。 ○高森先生に初めて上司指摘の手紙を書く 平成14年4月に高森先生へ手紙を出しました。 出すのに1週間悩み、覚悟して書きました。 それは長男の高森布教局長に対する内容であり、講師部となって17年目で初めての上司の指摘を書いたのです。 親鸞会講師部を知らない方には、そんな手紙位と思われるでしょうが、これは講師部の首を掛けないと書けない内容です。 なぜなら、 講師部聖則(学院生も同じです) 一、親鸞会講師部は、会長先生の御指示に無条件で従い、信心獲得を本と致します。 一、親鸞会講師部は、上司の指示は会長先生の指示と心得ます。 一、親鸞会講師部は、いかなる場合も仏法最優先とし、破邪顕正に命をかけます。 一、親鸞会講師部は、常に求道の姿勢を正し、会員の模範となります。 この聖則が講師部の求道の規範になっているからであり、これに反する言動は、講師部不適格者であり、除名、顕真学院再研修、任務解任、役職解除、降格等の処罰が課せられます。 まして、高森先生、又は身内への批判は厳罰であり、許されない行為として、徹底しています。 しかし、書かずにおれない事態が起き、決意しました。 平成14年に支部長制度が始まり、これまでの本部制度は廃止となり、東総本部長であった高森総本部長は、布教局長となりました。 高森布教局長ー4名の部長(布教部長)ー○百○十名の支部長 の組織となった。 しかし、布教局長、部長は、支部長とは上下関係が無く、支部長がやってゆけるように補佐する立場と高森先生が言われた。 これまでの様に、高森布教局長は上司ではない、公共の会場では御法話をしない、組織を使ってご法話に誘うことはしない、月に2日しかご法話ができないと規定が発表され、支部長は自分の支部会員への法施、活動に専念せよ、と言われて自由な活動が約束され、皆喜んだものです。 しかし、私の県で高森布教局長をそれまで招待していた会員さんは、続けて招待ご法話を続けられることになりました。それは自由ですから、問題はありませんでした。 参詣は自由。その日、支部長は自分の布教活動に専念していいはずなのに、同じ県の他の支部長7名は、本部制度の時と同じように高森布教局長のご法話に参詣しました。参詣しなかったのは私、一人です。 4月の北陸支部長会合の朝、用事で高森布教局長の部屋へ入ると、頭から 「ワシのご法話に参詣しないのは君一人だ、遅れるのが分からんのかー」 と大声をあげてきた。私は内心、「遅れとるのは、そっちだー」と叫んでいました。 大分、興奮しているのが分かる、この4ケ月間頭に来ていたのだ。 「組織が変わった途端に勝手なことしやがって、先生がどう言われようと、ワシを無視したらどうなるか分かっているのか」、という強い憤りを感じた。 私と高森布教局長は30年近くの長い付き合いです。 高森青年部長時代、私は上隊長で局長は私の上司だった。 36歳の時、電話で講師部に入らないかと誘ってきたのは高森青年部長だった。 青年部担当時代が最も親密な間であり、青年部員の結婚式も、司婚が高森青年部長、私が準備兼司会で相当の数をした。 副青年部長、青年部参謀に任命され、本願寺への批判本を配布する「イナズマ作戦」の担当、「全国青年部ご法話」の会場係も担当し、信頼を受けていた。 しかし、いつも感じていたのは、その強い「自己顕示欲」だった。 約束、時間、整理整頓に厳しく、尊敬する点は多々あったが、「ワシがー」だけは、何年たってもなじめなかった。謙虚さなんか無縁の人だ。 また人の指導方法にも嫌な思いを何度もした。 人のミスを細かくメモし、よく覚えていて、人の集まる所で指摘を始める。 始末書、詫び状の提出も確認して、遅れると又指摘だ。 段々と人の弱点、引け目を握って服従させてゆく。そのやり方は本当に嫌でたまらなかった。皆、嫌っていた。 大好きなのはお礼状だった。 ブラジル布教に行くとき、日頃読めないから、トランク一杯のお礼状をつめて飛行機の中で読むのだと言ったとき、これでは大きな男になれないと思った。若い時から、自分への称讃、感謝の言葉に埋まっていたら、自惚れてしまい、自分は特別な人間と錯覚するだけだ。 他人は叱り、自分は称讃が欲しい、我執丸出しの性格が出来てゆくだけだ。 最も絶望したのはご法話への姿勢、仏法への姿勢だった。 青年部、婦人部、一般部、学生部の活動組織が本部制度に変わった時だった。 それまで関東の青年部が高森青年部長を招待してご法話をしていたが、制度が変わったので、他の10講講師(当時7名)にも来てもらおうという話が出て、それが高森青年部長の耳に入った。 すぐ副青年部長が集められ、関東青年部担当講師に、「他の者を招待するそうやな。それなら今月のご法話、ワシは行かんぞ」と言い捨てた。 本当に驚いた。講師部にとってご法話は命のかける所、釈迦如来の代官として務める聖使命でないか。それを、自分以外の者を招待するなら、約束してあるご法話まで行かぬとは何ごとか。こんな程度か、この男にとってご法話は。心底怒りが出てきた。 担当講師はひたすら詫びていた。その後、変わりなく関東ご法話は続いていった。私はこの時から評価が変わってしまった。 もう一つ、ご法話に「遅れ」があってはならない、もしあったら厳罰が講師部の決まりだ。その場の会員さんに土下座して謝罪し、参詣者全員にお詫び状を書くことになっている。処罰は勿論ある。 私が光教育担当としてアニメ販売で九州熊本市へ行った時、高森総本部長のご法話があった。10時からの日程なので、会員さんも九州中から担当講師が誘い集まっておられた。 しかし10時になっても10時30分になっても来ない。 会場では10時から、アニメ上映が始まっていた。 10時40分過ぎ、タクシーから下りて来て、11時過ぎから法話が始まった。 担当講師に聞くと、本部長は事前に了解だからと言う。 遅れることが分かっているから、アニメで時間稼ぎして法話をさせる。なぜそうまでして高森総本部長に来てもらわねばなならいのか。 九州本部長は自分で法話をせよ。九州の責任者でないか。 それで、ご法話に絶対遅れるなと日頃、担当講師へ指導していて何になる。 あってはならぬ事でも、高森総本部長は特別な方、仕方ない、皆、目つむれと教えているようなものでないか。馬鹿なことをしている。 「はらからよ、姿にかけた法を説け」の当時の高森先生の指導を、活動部門最高責任者自らが無視していることになる。何をやっとるのか。 特権を見せ付けてるのか、そんな根性なら来るな。 次に北海道へ光クラブ員19名とアニメ販売で移動した。そこでも北海道の本部長が高森総本部長を招待してご法話をした。 今度は昼から1時間ほど話して飛行機の時間に間に合わせるため、後はアニメ上映にして本部長が総本部長を乗せ運転し、会員さんを会場に残して飛行場へ行ってしまった。会員さんをほっといて何をしてるのか。 どこも、ここも、皆、高森総本部長の都合に合わせて、やってならないことを、担当講師に見せている。こうして腐っていくのだ。 「遅れとるのは、そっちだー」と内心叫んだのは、こんな怒りからです。 今後も参詣しないと、「まだ懲りないか」と言うに決まっているので、そんな気持ちで説法している話は聞きたくないから、高森先生に九州、北海道のあったことを書いた。 これで、上司批判と判断されて除名されるなら、それも仕方ないと腹をくくった。何も連絡は無かった。 次の北陸会合の時、終わり際に高森布教局長は、「ワシのご法話に参詣しろとワシは言っとらんからな」と強く念を押して退場した。他の講師には何のことか分からなかったろうが、私は高森先生から叱責があったなと分かった。本人からは一言もなかった。 必死で書いた手紙も、親子の間だけの話で終わり、表には出ず、しかも高森布教局長の言動を見る限り、反省など無く、こんな姿勢では何か問題が起きると予感された。 そして、全講師部を揺るがす、前代見聞の不倫疑惑事件が起きた。
by watashinobyakudo
| 2008-05-25 20:58
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