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○高森先生 「獲信の記録」について この本がまさか60年後に多くの人の知るところとなり問題になるとは高森先生は夢にも思っておられなかったと思います。 講師部暦のどんな古い人でも、会員さんでも読んだことは無いと思います。絶対に読ませたくない、知られたくない本と思います。 ・恩師、伊藤師を富山県の実家の寺に招待して、御法話、ご示談がなされました。 両親、高森先生とご縁のあった獲信者、5人の方のご示談の様子が目前で行われている様に、活き活きと伝わってくる。 ここに、特に注目すべき方の体験談が載っていた。 高森先生のお母さんです。 78P-80P 「龍大生になった顕徹は、二年頃から仏教に対する態度がガラリと一変しました。 今まで徹到徹尾、反宗教的な子供が急に有難そうにしきりに念仏し始めるようになりました。 ところが、その念仏が普通でない、喜び方も狂気じみていますので、ああとうとうこの子は仏法狂人になったのではあるまいか、お寺で念仏するのは外聞が悪いことはないが、この子の将来を思うと気が気でありません。 その頃からです、大学の休暇に帰省するや、いなや、これまたどうしたことか、廃立とやら何とやら小難しい理屈を覚えて参りまして、平和で念仏喜んでいる村人を捉えては眼の色を変えて議論します。---- 住職(お父さん)に忠告致しました。 「こんなことで顕徹が門徒の信心を惑乱させていますが、貴方は黙って見ていられるのですか。あれは昔からやかましい地獄秘事とやら、土蔵秘事とやら云う異安心では御座いませんか。 何処で、そんな阿呆なことを覚えてきたのやら。この様子では門徒は二派に別れてくるではありませんか、何とか貴方から、注意してやって下さい」 と云うと、住職は済ました顔で「あれが本当なのだ。決して秘事でも異安心でもない、あそこまで真剣に行かぬと当流の信心は徹底しない。 ところが、あそこまで真剣に説く人が少ないのだ。我が子ながら感心な奴が出来た」と云って喜んでいます。 住職がそう云うならば、私が黙って引き込むより外の道はありません。----- 所が私には又、私に相応した様な方法で、如来様の御慈悲に徹底させて頂いたのです」 ・これから、生々しく獲信への体験が語られていきます。 伊藤師146P 「仏法王国と云われる此の富山ですら、此の大浦(高森先生の村)で獲信する者が続出すると皆がびっくりする。何故、皆が驚くのか、それは本当の信心を戴いた人が少ない証拠です。--全く、焼け野原の只中で暮らしているような気持ちで居りましたが、我々の同信の友から、高森顕徹と云う弱冠の若武者が飛び出して、轟々たる非難嘲罵を押し切って、廃立の法幢を押し立てた」 ・伊藤師は高森先生の活躍を心から期待し、称讃しておられる。 ●伊藤師、華光会が「土蔵秘事に類するもの」なら次の疑問が起きてきます。 1 高森先生は増井氏の話を聞き、また「仏敵」「華光」などを読み、獲信したと自ら語っておられるが、18歳の時のその信心も異安心ですか。 2 18歳の時、自分は正しく獲信したが10年余り、伊藤師の信心を異安心と疑問に思わなかった。分からなかったのですか。 3 お父さんは高森先生が善き師(伊藤師)に出会ったことを喜ばれて、奈良県から自分の寺に招待し、説法を門徒と聴聞し、ご示談に参加された。 伊藤師が土蔵秘事の異安心とは言っておられない。もしそうなら、門徒の人に異安心の話を聴聞させてしまったことになり、恐ろしい罪を造られたことになりはしませんか。 4 村の方に高森先生は布教されたが、5名の獲信者は誰も三願転入の話を聞いたと言っていない。廃立は説かれた。 三願転入せずしてアリ一匹助からぬと今、説かれていることに合わないのですが、どう理解すればいいのですか。 この時の村人の信心は皆、異安心ですか。 5 高森先生は18歳で獲信、このご示談は2年後ですが2年ほどの布教で村人5名も獲信されたことになります。 「これが獲信か」には「二十年や三十年で獲られる信心なら、億劫にも獲難し、と言われるはずがない」と非難してありますが、矛盾しませんか。 講師部に、どうしてこのように早く獲信出来る話をされないのですか、不思議ですが。 6 「獲信の記録」を出版したことは大変な間違いだったと、今は思っておられるのですか。もしそうなら、村人に謝って回られたのですか。あれは間違いです、正しい信心ではありませんでしたと。 7 お母さんの獲信体験談は、親鸞会の高岡会館時代に私は直接に他の人々と聞きました。テープも残っていますが、全く「獲信の記録」と同じ話です。 お母さんのこの時の、華光時代の信心は異安心なのですか。 親鸞会時代は同じ体験談ですが、正しい信心なのですか。 8 同じく、滋賀県のT岸○○○さんも、S52年「華光」誌に華光同人として、獲信体験談が載っています。今は親鸞会会員として、浅倉保講師がT岸さんをビデオ取材して、同じ話を多くの会員さんに、紹介していました。同じ人が華光会で言ったことは土蔵秘事に類する異安心で親鸞会へ来て語ったら、尊い話になるのはなぜでしょうか。 ○こんな尊い著書をなぜ、親鸞会会員に紹介されないのでしょうか。 獲信の御縁には、ならない本なのでしょうか。 ○高森先生 「顕正」 常に虎の説法124P 「然るに、わが浄土真宗は、このような十九、二十の本願に当る浄土宗とは違って、十八願の願意である、信心正因称名報恩の仏意を弘通する教えであるから、信前の人にも信後の人にも、終始一貫して信心正因、称名報恩の教えを勧めなければならない。ーー 手本はいかに信心正因、称名報恩でも機執によって、そのようになれず、或いは定散自力の称名となり、称名正因となるものもあろうが、たゆまずアキラメず信心正因、称名報恩の教えを勧めていれば、やがてその真意を諦得出来るようになるのである。ーー 未熟な人に合わせて信心正因、称名報恩の教え以外の法門を説いて、信心を得る方法に称名せよ、などと教えれば、あたかも猫の手本を与えて虎を書く方法とするようなものである。故に教家は常に虎の説法をしなけらばならないである。 真仮廃立128P 「廃立とは、廃は捨てもの、立は拾いもの、ということで雑行雑修自力は、捨てものであり、廻向せられるものは名号六字である」 ・三願転入は何処にもなく廃立が大事と教えてある。18願の世界に入るには、雑行雑修自力を捨てるには、19願の諸善、20願の念仏を励まねば廃らぬ、間にあわぬと知らされぬなど、どこを読んでも書いておられない。 「顕正」は昭和33年発刊。親鸞会結成の年だが、当時と今と説かれることが、違ってきているのではないでしょか。 ○「これが獲信か金剛の真心に暗き哀れさ」のウソ 取り寄せた、華光会の著書を読んで行くと、「これが獲信か」のパンフレットの悪意が読み取れるようになってきた。 どこなのか、次回の体験談でお話します。 親鸞会からの一方的情報だけを正しいと信じ切って会員さんにも徹底してきたことが悔やまれてきた。 このパンフレットの為に、私は華光会に警戒心を抱き続け近づくことが出来なかった。 ○増井悟朗先生に電話で質問する 私は書籍を電話で注文するとき、まだ警戒して子供の名前で注文した。 しかし読んで行くうち、質問したい気持ちを抑え切れなくなってきた。 伊藤師はすでに亡くなっておられる。果たして増井先生は、ご健在であろうか。 すでに80歳を越えておられる筈、若いとき結核で苦しまれたと本にあった。 ご健在でも、初めての私と話して下されるだろうか。 親鸞会では、高森先生に未会員が急に電話して話しなんか想像出来ないではないか。電話番号さえ知らされてない。 しかし「念仏の雄叫び」「親指のふし」「廻心の体験」の内容に聞きたいことがある。 どうか、どうかと思って華光会館へ電話を入れると、息子さんの増井信先生が名乗られて出られた。 「父は今、用事で出かけていますが、5時頃、帰ると思います」 と言われた。 あっ、生きておられた、良かったー。話も出来そうな感じだ。 6つにまとめた質問を5時まで何度も、どう聞くか復習した。 5時に電話すると出て下さって、自己紹介し親鸞会の会員であることを正直に言った。本を読んで尋ねたいことがありますが、いいですか、と聞くと、どうぞと言われた。 1 阿弥陀仏の救いとは 2 三願転入するとは 3 宿善まかせかとは 4 ご本尊 5 華光会は土蔵秘事か 6 高森先生と華光会の関係 1時間以上、時の過ぎるのを忘れて、私は質問して聞いた。 増井先生は一つ、一つ丁寧に話された。 増井先生の御法話テープのあることも分かったので、 20本注文した。 「本願のこころ」「六字のいわれ」「二種深信」「光に遭う」「誓願不思議」「救済の予定概念」「罪悪感、無常観」「機法一体」「後生とふみ出す」「大経の構造」「二河白道」「白骨章について」「白道に入るまで」等 親鸞会では信じられないことだが、90分1000円からあり、初めての人でも頒布していた。 御法話はビデオ、DVDもあった。 (皆さんも注文されたら、いつでも聞けます) ・「これが獲信か」の非難(6)に「大衆の前では説法しない」はウソだった。 ・親鸞会ではビデオ御法話テープのダビングしたら「死刑」と言われていた。除名、除籍は当然だった。結成30周年記念大会、「高森先生講演会ビデオテープ」は30万円もした。私の担当地区で一人求めた人がいた。 御法話テープが届いてから、妻と隠れて聴聞を始めた。 本も、テープも見つかれば、除籍に間違いない。 増井先生は南无阿弥陀仏、六字の心を詳しく説いておられた。 ○11月の本部報恩講に妻と参詣して聴聞した。 高森先生は「聞其名号の名号を聞くとは仏教を聞くことです。 たとえ、大千世界に満てらん火をも過ぎ行きて聞けと親鸞聖人は教えておられます」と言われた。 仏法聞きに来ているのに、火の中かき分け仏法聞け、では答えになっていない。 ・「たとえ、大千世界に満てらん火をも過ぎゆきて、仏の御名を聞く人は、永く不退にかなうなり」仏の御名を聞けと、仰っているではないか。 ・「聞というは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」でないか。 ・「この故に、一切の聖教というも、ただ南无阿弥陀仏の六字を信ぜしめんが為なり」御文章5帖9通六字の心を聞けと蓮如上人も仏教の究極を教えておれる。 ・「会報」第2集52P-53P 「仏像を通じて仏心を受け取り、仏の真実を聞かなければならない。今も同じで南无阿弥陀仏の六字にこもる仏心を汲み取らなければ、名号の尊さを殺すことになる。それ故に名号六字は無量無限不可思議絶対の功徳を私達に受け取り易いすがたにせられたものであるから、我々は六字の名号を通して阿弥陀仏の仏心に直入しなければならない」 そう書いておられながら、この「会報」は廃刊にしてしまったのだ。何ということか。一体何を説き、何を聞け、というのか。 ・南无阿弥陀仏の心は説かれなかった。阿弥陀仏の仏心にどうしたら直入できるのか、参詣者、特に長い間聴聞して来た人は聞きたいのだ。 核心が完全にボケた話になってしまっている。私だけだろうか、このように感じるのは。 私の心の中で、もうあかん、とハッキリした。 南无阿弥陀仏の仏心を説けない人に、私は40年近くも聞いていたのか。 増井先生の御法話との違いを、まざまざと知らされた。 ・「こんな話どれだけ聞いていても助かりませんよ」と土蔵秘事の者は近づいて来て誘う、と高森先生は言われたが、その通りではないだろうか。分かっておられるのだろうか。自分のことだと。 ・帰りに妻に「もうここへは聞きに来ないよ」と言うと妻も私も、と言った。理由を聞くと、同じことを感じていた。二人で親鸞会退会を決意した。 ・退会となれば、40年近く御縁あった方達と近づくことは無くなるだろう。 親鸞会の中で生きてきた私達は孤立するに違いない。 「なんで、どうして、何をこれまで聞いていたの、恩知らず」 あらゆる非難、中傷もあるだろう。 しかし、私達は、今生で後生の解決をする為に生まれてきたのだ。 あらゆるものの命を奪いながら、生かされているのだ。 今度こそ仏法聞いて、本願を聞き抜いて、迷いの打ち止めを必ず果たしますと誓って過去世も求めてきたのではないか。 生まれた途端に、そのことを忘れた生活の人が多いが、私達は、尊い仏縁に恵まれたのだ。何より有難い。 いつか別れ行く人々との生活を楽しむ為に、生きているのではない。 今のまま聞いていれば、活動していれば、宿善が厚くなって開発するんだろう、その内、その内と漠然とした聞法はもう出来ない。Tさんが身体をかけて教えて下さったのだ。 ハッキリと説かれる方に出会えたのだ。このご縁はどんな非難があって問題でない。もう未練も、迷いもなかった。 ○12月にもう一度、増井先生に電話した。 親鸞会をやめて聞かせて頂きます、と言うと「親鸞会が助けるのでもない、華光会が助けるのでもない。 これ皆、無常のものですよ。いつ、どうなるか分かりません。 阿弥陀仏の大願業力に救われるのですから。 来る人は拒まず、去る人は追わず、御縁ですから。 親鸞会をやめるも、そのままでも、自由にして下さい」と言われた。 高森先生以外の話を聞くな、本を読むな、除名だぞ、あまりにも、狭い狭い親鸞会と違い過ぎると思った。 ○夫婦で支部長に「携帯用御本尊」をお返しして退会を報告した。 驚いた支部長は「どうしてですか。高森先生のご恩を何と思っているのですか」と強く言ってきた。 何十年も同じ講師部の仲だったから、支部長の気持ちは良く分かる。私も同じことを言っただろう。 しかし頭が真っ白になっている支部長に今の私達の心を話しても到底、理解できない。高森先生しか見えないのだから。 何も反論せず「お世話になりました」と言って帰った。 ○遂に、阿弥陀仏の偉大な、強縁に引かれて私達夫婦は京都の華光会1月報恩講に参詣することとなった。
by watashinobyakudo
| 2008-05-25 21:20
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